浄蓮の滝も天城山隧道(ずいどう)も、石川さゆりさんの「天城越え」で歌われているので、ご存じの方も多いでしょう。どちらも一見の価値ありなので、「天城越え」される際はぜひ足を運んでみてください。
目次 - Contents -
浄蓮の滝
アクセス
浄蓮の滝までは東京方面からですと、東名沼津岡宮ICから車で約50分です。国道414号線沿いに無料駐車場があるので、行けばすぐに見つかります。また、近くに道の駅天城越えもあります。
浄蓮の滝と周辺
浄蓮の滝へは近くの無料駐車場から、舗道を下っていくことになります。滝までは歩いて5分くらいで、駐車場との高低差はそこそこあります。
下りきると向かって左手が滝つぼで、右手の方へ川となって水が流れていきます。その川辺にはわさび田が広がり、のどかな雰囲気が味わえます(立ち入ることはできません)。
また、天城国際鱒釣場があり、川に渡された木製の橋からマス釣りが楽しめます。
滝の方へ行くと、観光客が順番に滝をバックに写真を撮っているので、ゆっくり見たい場合はほかの人がいなくなるタイミングを見計らう必要があります。ベストスポットの面積がかなり狭いので、集中してしまうのです。多分週末など繁忙期はどんどん人が来るかと思います。ちなみにこのブログの写真は三脚を使って撮りましたが、後ろに待っている人がいないかちょっと気を遣いました。じっくり撮りたい人は閑散期に行きましょう…。
滝は見事な直線を形成していました。周辺に木々が生い茂り、少し暗いのも神秘的な雰囲気がしていいと思います。冬に行くとまた違った景色を楽しめることでしょう。
さて、この浄蓮の滝は「日本の滝百選」にも選ばれている名瀑で、滝幅約7m、最大落差は約25mと、静岡県では「安倍の大滝」(落差80m~90m)に次ぐ大きさです。ちなみに静岡県で浄蓮の滝と同じくらいの落差があるのは「音止めの滝」でして、「白糸の滝」のすぐそばに位置しているので、セットで見ることができます。これら4つの滝はすべて「日本の滝百選」に選ばれています。
ところで浄蓮の滝の右側を見ると、長方形が連なったような特徴的な模様が見えますが、これは玄武岩だそうです。玄武岩は火山岩の一種で、あの特徴的な模様は「柱状節理(ちゅうじょうせつり)」といい、溶岩が冷えて固まるときに形成されます。ということで浄蓮の滝は約1万7000年前の噴火でできた滝だそうです。膨大な時の流れを経て、なおも流れ続ける水に自然の不変の営みを垣間見ることができます。
それから滝のまわりには「ハイコモチシダ(別名:ジョウレンシダ)」という植物が群生していますが、これは国内では九州南部と浄蓮の滝でしか見られません。
浄蓮の滝の駐車場のそばには、浄蓮の滝観光センターというそこそこ大きめの建物があり、お土産を買ったり、お食事をしたりできます。また、生わさび付きアイスも販売もしており、結構人気のようでした。私も食べましたが、わさびがピリッと効いていて、意外とおいしかったです。わさびの有り無しは選べたので、子供でも大丈夫でした。
浄蓮の滝と安藤藤右衛門
浄蓮の滝へは駐車場から歩道をどんどん下っていきますが、この歩道は明治39年(1906年)に安藤藤右衛門が私財を投じて整備されました。それまでは滝までの道がなく、観光できるような場所ではなかったようです。滝の入口には安藤藤右衛門の功績をたたえ、懐徳碑が建てられています。
安藤藤右衛門は明治13年(1880年)に、川端康成が「伊豆の踊子」(1926年)を執筆した宿として知られる湯本館を開業した人物でもあります。湯本館は浄蓮の滝から車で10分くらいの所に位置し、今でも宿泊できます。ちなみに安藤藤右衛門の没年は大正13年(1914年)、川端康成が15歳ごろのときでしたから、おそらく二人の面識はないでしょう。
天城山隧道(あまぎさんずいどう。旧天城トンネル)
アクセス
天城山隧道へは国道414号線から脇道に入るのですが、北口園地へのルートと南口園地へのルートの2ルートがあります。どちらも舗装されていない砂利道を走るのですが、北口園地へのルートは、「ここはホンマに日本か」っていうくらいのデコボコで細い道です。しかも一方通行ではないので、もし対向車が来たら、一応ガードレールがあるとはいえ、どちらかが崖っぷちのデコボコ砂利道をバックしなければなりません。
南口園地へのルートも砂利道ですが、北口園地の道よりはマシだと思います。なのでおすすめはまず南口園地へ行き、隧道内は歩くか、車で北口へ通り抜けるルートです。ただし隧道はこれまた一方通行ではなく、鉢合わせになるとどちらかがかなりバックすることになります。私は実際200mくらいバックしました。直線ですが、遠すぎてすぐには対向車が見えません。
天城山隧道
天城山隧道は全長445.5m、隧道とはトンネルのことでして、明治37年(1904年)に完成、翌年開通した石造のトンネルです。1904年と言えば、ちょうど日露戦争が勃発した年でもあります。日本に現存する石造道路隧道としては最大長で、全国で初めて重要文化財に指定された道路隧道とのことです。
三島から下田までを結んだ旧街道のことを下田街道と言い、このトンネルができる前は、険しい天城山のおかけで天城越えは下田街道最大の難所でした。なので伊豆の南北の往来はかなり大変だったようです。箱根にある「元箱根石仏群」を見に行った時に、かつて箱根は地獄と呼ばれていた、と知りましたが、天城越えもそれに近いものがあったのだと思います。ということでトンネルの完成は皆の悲願だったことでしょう。その後はたくさんの人たちが往来し、川端康成の「伊豆の踊子」などにも登場しましたが、1970年に新天城トンネルが完成し、その役目を終えました。
実際に隧道を見てみますと、切り石がきれいに積まれて造られており、ものすごく手間暇がかかっていそうです。石を切って運んで積むわけですから、気が遠くなりそうです。また苔やスケールが付着したその外観からは歴史の長さが見てとれ、今では役目を終えたトンネルは、まるで静かに眠っているかのようです。中に入ってみると薄暗くて涼しく、石造りのトンネルの奥に明かりがポツリ、ポツリと見え、長い時間をかけて忘れ去られた昔の雰囲気が味わえます。
また、天城山隧道を含む、浄蓮の滝から河津七滝までの16.2㎞の「踊り子歩道」というハイキングコースもあります。
伊豆市にはこのほか2つの国指定文化財があります。一つは修善寺にある木造大日如来坐像、もう一つは上白岩(かみしらいわ)遺跡です。
道の駅 天城越え
浄蓮の滝から車で3分、天城山隧道からは約10分くらいのところに道の駅天城越えがあります。駐車場がかなり大きく、立ち寄る人も多いようです。お店ではわさび塩などのわさび製品を買うことができます。このわさび塩、一つ買ってみましたが、かなりウマいです。立ち寄ったらぜひ買ってみてください。
「緑の森」というレストランもあるので、食事もできます。
年表
1880年(明治13年) | 安藤藤右衛門が湯本館を開業。宮内省雅楽課により「君が代」が作曲される。 |
1904年(明治37年) | 天城山隧道が完成。日露戦争が勃発。 |
1906年(明治39年) | 安藤藤右衛門が浄蓮の滝の遊歩道を整備。伊藤博文が初代韓国統監府に就任。 |
1926年(昭和元年) | 川端康成が伊豆の踊子を発表。蒋介石が孫文の後を受け継ぎ北伐を開始。 |
1970年(昭和45年) | 新天城トンネルが完成。日本航空機よど号ハイジャック事件が発生。 |
まとめ
浄蓮の滝は日本の滝百選にも選定されている名瀑で、高低差は約25m。約1万7千年前の火山活動により、玄武岩の崖が形成され、浄蓮の滝ができた。柱状節理もみられる。
天城山隧道は全長445.5m、1905年に開通した石造りのトンネルで、重要文化財に指定されている。下田と三島を結ぶ下田街道の難所とされた天城越えが容易になり、多くの人々が往来したが、1970年に新天城トンネルが完成し、その役目を終えた。
道の駅天城越えは浄蓮の滝や天城山隧道の近くにあり、わさびを使った製品などを購入できる。駐車場も広い。
周辺エリア情報
道の駅
世界文化遺産
- 韮山反射炉 (静岡県)
日本の滝百選
- 浄蓮の滝 (最大落差:25m、伊豆市)
百~三百名山
- 万三郎岳 (標高:1406m、百名山)
名勝や史跡、天然記念物など
- ナチシダ自生北限地 (天然記念物 、賀茂郡河津町)
- 上白岩遺跡 (史跡 、伊豆市上白岩)
- 新町の大ソテツ (天然記念物 、賀茂郡河津町)
- 杉桙別命神社の大クス (天然記念物 、賀茂郡河津町)
- 八幡野八幡宮・来宮神社社叢 (天然記念物 、伊東市八幡野)
その他のエリア情報
- 牧場の家 (静岡県賀茂郡西伊豆町宇久須3609-1)
- 農の駅伊豆 (静岡県伊豆市柏久保108)
- JA伊豆太陽 河津農産加工直売所 (静岡県賀茂郡河津町川津筏場981-2)